弁慶の立ち往生
義経が兄源頼朝に追われて、藤原泰衡に衣川の館を攻められた際、弁慶は並み居る敵兵を次々倒すが、ついには無数の矢を受けて仁王立ちのまま息絶えたと伝えられている。進退窮まることの喩え。なお、この立ち往生については医学的見地から様々な議論がなされている。法医学の立場からは、著しい肉体疲労や即死時のショックからくる即時性死後硬直ではないかと考察されているが、あり得ないとする意見もあり、真偽は定かではない。
主君を守るために奮戦し大量に矢を射られ直立不動で死ぬという点で、三国志演義における典韋の死に様と酷似している。